君ありて幸福

一介の若俳おたくのブログ

「非日常」が「日常」になるとき

 

芸能とは
映画・演劇・落語・歌謡・音楽・舞踊など、主に大衆演芸向けの娯楽の総称。

 

私は学校で、落語や狂言、オペラ、舞台、ミュージカルなどの芸能関連の勉強というか鑑賞をする授業を受けているのですが、初回の授業で、担当の先生が言った言葉が頭の中をぐるぐると回り続けている。

 

 

「人間は衣食住があれば生きていけるってもんじゃなくて、"非日常"というものが無いと人間の心は駄目になってしまう」

 

一語一句同じではないけれど、だいたいこんな感じだった。その後に「じゃあその昔からある非日常といえば、これから授業で見たり学んでいく芸能」と言った感じに授業へ進んでいったのだけれども、先に書いた言葉がとっても心に残っていて。

 

次に先生は、「では、みなさんの"非日常"はなんですか?」と問いかけてきた。

 

先に言われた事と「芸能」という事を踏まえて、「私の"非日常"は舞台やミュージカルを見に行くこと」だと迷いもなく思ったのだけれども、今はなんと答えたら良いから分からないかもしれない。

実際、その時問いかけられた後、自分の「非日常」を書き出してみよう、といったプリントが配られて、私は先述した通りの事を書いたけど、今なら、すごく迷った後、提出するために適当な事を書いて終わると思う。

 

 

先日、推しさんの舞台が大千秋楽を迎えた。2週間とかで終わる舞台もある中、今回の舞台は2ヶ月ぐらい公演していたので長い方だったと思われる。

今回、関西公演は当社比ではあるけれどそこそこ通いました。私は地方住みかつ体力的にも、東京公演は一公演しか行けて無かったって言うよりか、チケを取らなかった。なぜかと言うと、東京へ行くのと比べたら断然交通費が安く、ちょっと遠出かな?ぐらいで済むような所での地方公演が14公演もあったからである*1。東京までの交通費高いし遠征しなくてもたくさん見れるなら!って平日の昼公演以外は全部取ったりして、通う気満々で。とてもゆるくオタクをしていたので、今まで、通う!って感じたことがあまり無かったから*2少しワクワクもした。だってほぼ毎日推しさんが見れるって素敵過ぎません?

そんなこんなでチケをとってから、私生活が荒れたり病んだり現場にも行ったりして、東京で初日を見て、約1ヶ月空いてから関西初日を見て、そこから土日、平日はソワレがある日、土日ときて大千秋楽を迎えました。

終わってから、喪失感がとてつもなかった。なんだか今まであったものがぽっかり無くなってしまった感じがしたり、学校終わりに「あ、今日は西宮まで行かないのか」とぼんやり思ったり。別に通ってて特別大きな事件があったわけでもなく、ただただ入れるだけチケを取って、そのチケで舞台を見てきただけなんだけども、今までとは違った感覚があった気がしたのです。

そこでふと思い出したのが、授業での事。私の中での非日常は、「舞台やミュージカルを見に行くこと」だと思ってたけど、違うんじゃないかな、と思えてきた。あの関西公演期間中は、土日でも目覚ましをしっかりセットして、お化粧をして髪の毛もセットして劇場まで電車に揺られる事や、学校が終わった後、授業で使うものが入った重めなカバンを持って駅までダッシュしてなんとか開場までに間に合うように急ぐ事、客席から十勇士と幸村様達の生き様を見届ける事も全部、私の中の日常になっていたんだと感じてきた。「現場に行くこと」自体が自分の生活の中に組み込まれていって、"非日常"であるはずの芸能・娯楽が日常になっていくのを知らないうちに体験して、後に残ったのは"日常"が無くなってできた喪失感。

今回はたまたまわかりやすく感じただけであって、現場に行くことが当たり前になって、チケを取ることが当たり前、みたいなオタクはわんさかいるだろうし、それは現場に行くことがもう日常の1つになっているからなんじゃないかと思ったり。

私は小6の頃に推しさんを知って、バイトも出来るわけがなく、ちまちまと貯めたお小遣いやお年玉で年に2、3回関西でする舞台に行けて、それが楽しくて嬉しくて仕方がなかった。そう考えると、昔より回数も行っているのに、遠征して関西以外での現場にも行けるのに、年に数回しか行けなかった頃よりも今の方が1回1回の現場での喜びや感動は少なくなってしまっているのでは…?

だからといって、多ステはやめられないと思う。何回でも推しさんのお芝居が見たいし、使命感は無くとも、ある程度入っておきたい気持ちもある。なんとなく。1回1回の喜びが減るからって多ステやめて、Twitterとかで日替わりのレポとか回ってきたりして「今日入れたのに!入ればよかった!」って後悔するのも絶対嫌だし。

毎回全通をしているような強火な方々は、なおさらオタク的活動は日常になっているんじゃないかなぁと勝手に思ってます。だって毎日のように同じ舞台みて地方あったら飛んで、千秋楽迎えてもまた違う現場へと向かう。日常に組み込まれすぎてるというか、それがその人の生き方って感じがする。

 

で、よくオタクは病む。金が無いだとか干されたとか糞席だとか同厨がウザイだとか。心を支えるため、癒すための娯楽=非日常が逆に疲れさせたり病ませたりしてる。地獄である。非日常を求め続けた結果、非日常は日常になって、心を疲れさせてる。地獄である。ほんと、この本末転倒というか、意味わかんない現象はなんなんでしょうね…。

 

今現在このブログを書いているときも、日常が無くなりぽっかりと空いてしまった気持ちのままで、週末には推しさんのイベントがある。色んな事情によりモチベがかーなーり低いけど、まぁきっと推しさんを見たらぽっかり空いたところを埋められていくのではないかな。

私の非日常が舞台やミュージカルを見に行くことではなくなって、娯楽としての意味を成していなくても、日常の中に推しさんや舞台・ミュージカルが組み込まれていくのはなんだか悪い気はしないもんです。

 

と、なにが書きたかったのか、書きたいことをどう書けばいいか分かんないまま下書きを書き終えていたのをどうするかと思い、とりあえず公開しておきます。文章力の無さとまとめ下手さが顕に……。

とりあえず大千秋楽お疲れ様でした。

*1:私的には地方にしては多いなという感想

*2:アイワズライトも全通して通った感はあったけれど、帰省と被っていたり色々あったので"感"は薄い